桐島、部活やめるってよ監督:吉田大八/2012年/日本
マクガフィンとしての桐島の存在と、均された青春の物語。
原作は朝井リョウの同名小説ですがいつもどおり未読です。試写で鑑賞。公開は8月11日です。
おそらく舞台となった高校で試写が行われたときの高校生たちの感想が載ったチラシには「よくわからない」と書いてあったりしたので、破綻してるのかな? って思っていたのですが、見終わってみると、これがわからないのはたんに読解力に問題があるのやもしれん…。わかりにくい話というわけではまったくないですよ。
あらすじ:桐島が部活をやめたらしい。
バレー部のキャプテンだった桐島が部活をやめた。映画部の前田(神木隆之介)は、自主制作映画を撮っていた。
※物語上のネタバレはありませんが、クライマックスの描写については書いています。ネタバレの記述の前には注意書きをしています。
- おすすめ
ポイント - 10代の少年少女に。とにかく、若い子におすすめです。青春を忘れきる前にどうぞ。
「エレファント」っぽい撮り方をしているところもちょっとあります。
どこにでもありそうな高校が舞台となっております。バレー部(ジョックス)、学校一の美女(クインビー)とそのとりまき(サイドキックス)、映画部のナード…この分類はアメリカの高校でのヒエラルキーでの分け方ですけれども、とにかく、それぞれの階層の子供たちが、「桐島が部活をやめたらしい」という一言を発端にして、様々な人間関係を見せていくというお話ですね。
キャラクターはわりとステロタイプ的な描き方をされているんだけれども、誰もがだいたい想像できうる「青春のかたち」を表しているのかなって思うんですよ。
見出しに「均された青春」って書いたのはここで、突出して変わったキャラクターがいないから、誰でも「そうそう、青春って、こんなかんじだよね」と受け取れるんじゃないのかなと。そのうえで、「同じクラスにいた、よくわかんないって思ってたあの子は、もしかしたらこういうふうに考えて、感じて、暮らしていたのかもしれないな」と思いやることが、できるんじゃないのかな。
特にホラー映画では、ジョックスは悪者でありひどい目にあってこそ、という立ち位置を与えられていました。映画を作る側がナードに属していることが多いから、ジョックス憎し、でぶち殺す。どうもそういう映画に慣れていると、ジョックス=悪者、と思っちゃいますよね。
この映画では、ナードにもジョックスにも同じだけの意識を向けているところが、りっぱだなあっと思います。ジョックスもな、タイヘンなんだよ! それでもナードの描写のほうが丁寧だったりもするんですけれどね(笑)。映画に関する用語がわりと出てくる、出しやすいんで、当然かなとも思います。
それでね、館内は若い子が多かったんですが、笑うところがまったくわたしとは違ったのね。映画部の子がダサい、っていうところとかで、笑い声が上がる。
いっぽうわたしは、「映画秘宝買った?」「ロメロって言ったらジョージ・A・ロメロですよ!」「『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』じゃん…」とか、そういうところで笑ってる。
ああ、見に来ている子たちは、こういう映画がらみの小ネタみたいなのはわかんなくって、それは仕方ない(解れ、とは思わない)けれども、「ナードってダサいな」とは思ってるんだな、と、つまり、この子らはジョックス側なんだな、って思ったんです。ナードを馬鹿にしてきたのかもしれないんだろうなと。
※以下、ネタバレを含みます。
でね、映画部がゾンビ映画撮っていて、クライマックスでナードがジョックスを食い散らかすんですね。わたしにとっては、ここは、ナードよくがんばった! っていう泣きポイントだったの。でも場内は、大爆笑だった。すごい温度差ある。やっぱ、ジョックスとはわかりあえないなって思う…と同時に、もしかしたらあんまりゾンビ映画を見たことのない子たちが、「ゾンビって、笑えるんだ」って感じたのかな? とも思うわけ。爆笑と同時に、拍手が起こったんだもの。
わたしも普通にゾンビ映画見ているとき、ゾンビが人を襲うの、おもしろがって笑ってる。映画をまったく見たことなかった頃には、ゾンビ映画って怖そうだから見られなかったのに。そう思うと、ある意味で、ここはナードとジョックスが解り合った瞬間だったのかなって。だとしたら、それって素晴らしいことだよね。